2018年9月の総裁選では惜しくも敗退した石破茂氏ですが、自らが結成した派閥「水月会」のメンバーやその結束力に変化はあるのでしょうか。
自民党各派閥の勢力がはげしく変化する中にあって、石破氏の「水月会」に何か変化があったニュースは、いまのところ見られません。ここでは、石破茂氏が結成した派閥「水月会」と、そのメンバーについて迫ってみたいと思います。
「水月会」はいつ発足したのか?
2015年、石破茂氏は「無派閥連絡会」の顧問を務めていました。「無派閥連絡会」というのは、山本有二衆院予算委員長の呼びかけで2013年の1月に結成された、自民党内で無派閥である議員の情報不足を解消する目的の会です。初会合の時点では37名の議員が出席していたそうです。
2014年の9月30日、石破茂氏がこの「無派閥連絡会」に入会し、2日後の10月2日には、同会の顧問に就任します。この会の中心メンバーが、2012年の自民党総裁選で石破茂氏を支持した議員たちであったため、党内からは「事実上の石破派」と見られていたと言います。
石破茂氏は、そうした見方に対して、「あくまでも無派閥の議員がお互い助け合うことを目的とした会」と否定していました。しかし、2015年9月8日、安倍晋三内閣総理大臣が無投票で総裁に決定した翌日に、「無派閥連絡会」を解散し、自らの派閥を結成することを表明しました。この派閥が「水月会」です。(「水月會」とも表記されます)
「水月会」という名称にはどんな意味があるのか?
それでは、「水月会」という名称は、誰が、どんな意図でつけたのでしょうか。これは、石破茂氏の知人である東京都台東区谷中にある臨済宗国泰寺派の寺院・全生庵の住職に依頼して付けられたものだそうです。
「水月」とは、禅に由来する言葉で、「水面に映る月は、自ら映ろうとするものではないし、水面は月を映そうとするものではない。」とし、「お互いが己を主張することなく、見事に調和を保っている」という意味を指すそうです。
無私、無欲で、世の中の為に尽くす集団であるべし、という思いが込められていると言います。ちなみに全生庵は、かつて江戸城の守り本尊であった、葵生観世音菩薩をご本尊として奉ってあるそうです。開基は、幕末に江戸城無血開城に尽力し、明治では政治家としても活躍した山岡鉄舟とのことで、石破茂氏がこの名称を冠した思いもわかる気がしますね。
「水月会」のメンバーにはどんな人たちがいるの?
それでは、「水月会」にはどんな政治家が属しているのでしょうか。まず、会長は石破茂氏本人です。そして、「水月会」の前身ともいえる「無派閥連絡会」を結成した山本有二氏が、会長代行を勤めています。
同じく、「無派閥連絡会」で一緒だった鴨下一郎氏が会長代理を勤め、関西学院大学大学院の教授などを現職としている伊藤達也氏と、裁判官訴追委員会委員長である田村憲久氏の二人が副会長として就任しています。
他にも、女優・水野真紀さんの御主人で、自民党の副幹事長を務める後藤田正純氏や、法務大臣政務官、環境大臣政務官、財務副大臣を歴任した古川禎久氏など、「水月会」はベテラン勢が石破茂氏の脇を固めているのです。
にも関わらず、2018年の新内閣には、石破派からの閣僚起用が一人も見られませんでした。安倍晋三内閣総理大臣の人事を問題視する声が多く聞かれた一因です。
2018年の総裁選で負けた石破派「水月会」には、厳しい現状であるかもしれませんが、2015年の結成当時からのメンバーは、「都民ファーストの会」へ移った若狭勝氏以外の19名が変わらず、石破派を貫いています。
「水月会」のこれから
「水月会」の発足当初、石破茂氏は「私のような者でも、仮に政権を担うのが望ましいということであれば、それを目指したい」と、総理大臣になることを目指す発言をしています。現在も、共に派閥を守っているメンバーとの結束は固いようです。
最近では、「水月会」の公式HPから、石破茂氏のLINEスタンプが登場するなど、石破茂氏らしい活動も展開されています。
今後も、発信される情報が気になる派閥であることに変わりはないようです。
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