古い建物、歴史ある建造物には何かとついて回る“都市伝説” ですが、実は日本の国会議事堂にも、ちょっとコワい都市伝説があるそうです。
ここでは、国会議事堂に伝わるという「開かずの間」の都市伝説について、迫ってみたいと思います。
国会議事堂には「開かずの間」が存在した
誰もが知る、日本の政治を司る象徴的な建物のひとつが、国会議事堂です。その国会議事堂に、職員も入ることができない立ち入り禁止の場所、「開かずの間」があるそうです。
国会議事堂は、竣工が1936年ですが、建設計画は明治にまでさかのぼります。着工から約17年を経て完成した豪華な国会議事堂の8階は、広い木目調のホール風になっており、ちょうど中央に、頂上の9階に上る螺旋階段が設置されています。
「開かずの間」となっているのは、その8階の広間であり、国会議事堂の真ん中にある、ピラミッドのような屋根にあたる場所だそうです。
なぜ「開かずの間」になったのか?
戦前、この8階は国会の職員の方がたが、当時流行していた社交ダンスの練習場としても使用していたという話です。
それが、いつの間にか立ち入り禁止となった背景は何でしょう?
噂では、ダンスを通じて知り合った男女が恋仲となったが、その恋は実らず、やがて女性の方が世を儚んで、国会議事堂の8階から身を投げた…という説があるそうです。
そしていまでも、夜になるとときどき女性のすすり泣く声が聞こえる…という、ミステリーとなっているようです。
この噂が事実か否かはともかく、国会議事堂の8階の広間は現在も立ち入り禁止の「開かずの間」となっているのは本当のようです。豪華な造りの建物で、しかもダンスできるほどの広い部屋が「開かずの間」になってしまっているのは、ちょっともったいない気もします。
専用のカギでしか乗れないエレベーターから、中央棟の8階、9階まで、国会議員でさえ行き来することができない「開かずの間」、気になりますね。もしかすると、国家的な秘密や、別の意図があるのかも…と考える人もいるようです。
しかしながら、2007年には報道関係者に公開されているので、特別な秘密などはなさそうです。昭和11年から変わっていない「搭屋八階」と呼ばれる場所は、参議院のHPでも写真が公開されており、その美しい内装を見ることができます。
中央塔8階内部(参議院HP)
http://www.sangiin.go.jp/japanese/taiken/gijidou/ph/ph50.html
国会議事堂の「開かずの間」8階と9階の歴史とは?
8階の広さは、一辺が約16メートルの正方形で、約270平方メートルの面積があるそうです。写真で見ても、その広間はまさにダンスホールのような優雅さです。
この広間では、戦後に「進駐軍がダンスパーティを開いた」などの噂がとんだことがあったそうですが、事実ではなかったそうです。戦前のダンスの練習場であった話と混同してしまったようですね。
8階中央の螺旋階段を上ると、最高部65メートルの頂上に着きます。この9階部分は、約13平方メートルの展望室となっており、搭の独特の外観を優先してできた空間だそうです。
ただ、国会議事堂が完成した当時は、日本でもっとも高い建物であったため、ライトを照らして灯台の役割も担っていたといいます。
この9階の中央にある柱には、建設当時の名称が“国会議事堂”ではなく、“帝国議会議事堂”であったことが記されています。ここでも歴史を見ることができるのですね。
「開かずの間」ではないのに、「開かずの間」となる理由とは?
報道に公開されているのに、現在も立ち入り禁止となっている「開かずの間」。気になりますね。今度、国会議事堂の見学ツアーに行く機会があったら、勇気を出して職員の方に尋ねてみるのもありかもしれません。
国会議事堂を見学するなら「はとバスツアー」がお手軽
国会議事堂は申込みさえすれば個人でも見学可能ですが、はとバスのツアーがあるので、初めての見学にはこちらの方が手軽かもしれません。
お土産もいろいろあります。
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