自由民主党所属の衆議院議員である野田聖子さんの若い頃を知っていますか?
自民党のマドンナ的存在だったと言われています。若い頃から、美人な上に才女としてもご活躍だったようです。
そんな野田聖子さんの学歴が気になる方も多いかと思います。ここでは、野田聖子さんの若い頃について、学歴も見ていきながらご紹介したいと思います。
小中高一貫教育のお嬢様育ち
野田聖子さんは、田園調布雙葉高等学校を卒業されています。田園調布雙葉高等学校というのは、原則として小学校から入学していないと中学・高校へ進むことができないといわれる特殊なお嬢様学校です。
卒業生には、皇太子妃・雅子様や、テレビ局のアナウンサーなど、有名な女性を多く輩出している学校でもあります。野田聖子さんは、小学校の頃はサッカーなどで活発に活躍していた少女だったそうです。運動神経もよかったようですね。
中学3年生の時には、生徒会長も務められたとのことで、すでに政治家としての片鱗も覗かせていたようです。
そして高校に入ってからは、ミッション系の学校であるにもかかわらず、同級生とロックバンドを結成するなど、アグレッシブな活動を続けています。野田聖子さんが影響を受けたのは、英国のロックバンド「QUEEN」だったそうで、その頃から行動派だったことが伺えますね。
高校2年生のときに田園調布雙葉高等学校を中退し、アメリカ・ミシガン州の「ジョーンズビル・ハイスクール」に編入しています。アメリカの学校では、バスケットボールなどに熱中していたといいます。
そのままアメリカの大学に進む予定だったようですが、事情が変わって日本に帰国しなければならない状態となったため、野田聖子さんは、上智大学の外国語学部に入学することになったといいます。
上智大学外国語学部は9月入学という制度をとっているため、同学年より早く大学生になったそうです。
青春を謳歌した大学時代
野田聖子さんの上智大学時代は、スキー部に所属していたそうで、競技スキーに熱心に取り組んでいたと言われています。
この頃、野田聖子さんはすでに基礎スキーのSAJ1級を取得していたとも言われています。美しさを競う基礎スキーではなく、タイムを競う競技スキーに挑戦するところにも、野田聖子さんの快活ぶりが伺えます。
また、お嬢様であっても、英語の家庭教師をするなど、アルバイトにも励んでいたといいます。生徒は子どもだけでなく、主婦にも教えていたそうなので、なかなか多忙であったかもしれません。
野田聖子さんが20歳の時には、おつきあいしていた彼氏もいたということですので、サークルにアルバイトにデートと、かなり充実した大学生活を送っていたように感じられます。
この時の彼氏とは、結婚の話も出ていたといいます。まだ20歳ということもあり、白紙になってしまったようですが、女子大生として憧れるような、理想的な過ごし方をしていたようです。
キャリアを積んだOL時代
1983年に上智大学を卒業後、野田聖子さんは帝国ホテルに入社します。そこでフロントでの接客や客室清掃、カフェテリアで実績を重ねたのち、株式会社帝国ホテルとして初の「国際セールス部」の女性セールス部員となります。
4年間の帝国ホテル勤務をしていた野田聖子さんですが、政治に関わることになったきっかけは、祖父・野田卯一氏の支援者からの依頼によるものだったそうです。
「まったく政治家になろうという意志がないまま、岐阜の支援者に引きずられる形でここにきて、それが政治家のはじまり」と野田聖子さんは、岐阜大学で語ったといいます。
しかし野田聖子さんを大変かわいかっていた野田卯一さんは、孫娘の政界進出に激怒したといいます。というのは、かわいい孫娘を政界の「お飾り」にしたくなったためと言われています。
1987年に、野田聖子さんは自民党公認で岐阜県議会議員選挙に史上最年少で当選します。それからは、「お飾り」どころか、国政に大きく関わる躍進を続けることになるのです。
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