第20代東京都知事であり、女性都知事として、いまや知らない人がいないほど人気があるといえば、小池百合子さんですね。数々の語録を打ち出し、その勢いは止まるところを見せません。
そんな小池百合子さんとは、一体どんな家庭環境で育った方なのでしょうか?ニュースキャスターから政治家へと華麗に転身した背景とは?
ここでは、いまも躍進を続ける小池百合子さんの少女時代や生い立ち、そのプロフィールについて、少し迫ってみたいと思います。
生まれは芦屋のお嬢様
小池百合子さんは、1952年7月15日生まれ。東京都知事であり、地域政党「都民ファーストの会」の特別顧問という肩書を持っています。お年は60歳を超えていらっしゃいますが、その若々しい姿はテレビなどでご覧のとおりです。
出身は、兵庫県芦屋市とのことで、芦屋市立岩園小学校から甲南女子中学校へ進学、甲南女子高等学校を卒業し、関西学院大学社会学部へ入学したそうです。関西学院大学といえば、125年を超える歴史を誇る名門ですね。
しかしその後、貿易商を営んでいた父親の会社の都合で、家族は東京の六本木に転居することになります。そんな中、小池百合子さんは、ある新聞記事を目にすることになるのです。
いまにつながる行動力
小池百合子さんが目にしたのは、「国際連合の公用語に、アラビア語が加わる」という旨の新聞記事でした。これを機に、小池さんはアラビア語の通訳を志したといいます。
1971年には大学を中退して、父親の貿易先だったエジプトへ留学することになります。また、資金援助を受け、ご両親もカイロ市で日本食のレストランを経営したそうです。
アラビア語は、カイロ市のカイロ・アメリカン大学で学び、カイロ大学に移ってそのまま卒業されました。最終学歴は、カイロ大学文学部社会学科ということになります。
カイロ大学卒業後には、アラビア語の通訳として活動を開始します。小池さんが学生時代から目標にした通訳の仕事を見事に勝ち取っていることからも、意志の強さが垣間見えます。
メディアへの進出
アクティブな行動は、その後メディアへも広がります。1979年から1985年まで、『竹村健一の世相講談』という番組内で、アシスタントキャスターを務めるようになります。
1988年からは、テレビ東京『ワールドビジネスサテライト』の初代メインキャスターに抜擢され、1990年には「日本女性放送者懇談会賞」を受賞しました。フリーから出発した女性キャスターとして、小池さんは草分け的存在とも言われています。
政治とのつながり
そんな小池百合子さんですが、一体いつから政治家を目指したのでしょうか。小池さんは、1992年の第16回参議院議員通常選挙に初当選します。そのきっかけは、小池さんがメインキャスターを務めた『ワールドビジネスサテライト』に、細川護煕元首相がゲスト出演したことからといわれています。
この時二人は初対面だったそうですが、その番組出演をきっかけにして、細川護煕元首相は小池百合子さんに参議院議員候補として白羽の矢をたてたと言います。そしてそこから、小池百合子さんは、政治家としての人生へと歩むことになるのです。
実はこの1992年に初立候補した選挙の前、小池さんは複数の政党から立候補のお誘いを受けたそうです。しかし、小池さんは細川元総理が結党した日本新党に入党します。そして比例区から出馬して、見事初当選を果たすのです。
さらに翌年の1993年には、参議院議員を辞職して、第40回衆議院議員総選挙に立候補します。この時も、日本新党で出馬して当選。そしてこの選挙で、日本新党は大きく躍進し、自由民主党にかわって細川内閣が成立します。
この時、小池さんは総務政務次官に就任しますが、連立政権は1年足らずで崩壊してしまいました。しかし、その後も小池さんはさまざまな政治の主要ポストに関係していきます。
現在も東京都知事として、さまざまな政務をこなし、難しい難問に挑む姿を慕う人は多いようです。今後の活躍も期待される人物のひとりとなっていくことは間違いないようですね。
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