「安倍一強」と謳われた安倍晋三内閣総理大臣の支持率が急落しています。それに伴って、2018年9月の次期総裁選に向けて、いろいろな情報が流れてくるようになりました。
次の総理大臣には誰が就任するのでしょうか?その総理大臣候補に誰の名前が挙がっているのでしょうか?
ここでは、そんな次期総理大臣候補として憶測がなされている内のひとり、石破茂氏について、少しご紹介したいと思います。
石破茂氏の生い立ちと学歴
石破茂氏の誕生日は1957年、2月4日です。出身は、鳥取県八頭郡八頭町ということですが、生まれたのは東京と言われています。
石破茂氏の父親も官僚で、その時は建設事務次官として務めていましたが、翌年の1958年には鳥取県知事に就任しています。
父親の石破二朗氏は、茂氏が生まれた時、48歳でした。シャイな方だったのか、自身の高齢を恥ずかしく思って、茂氏が生まれた病院へあまり行きたがらなかったそうです。
そこで、秘書の高岩氏という男性が代理として病院へ通っていたところ、病院側に「高岩氏が茂氏の父親」と間違えられたことがあったといいます。
石破茂氏の母親は、国語の教師だったそうで、かなり教育熱心な方だったようです。茂氏が小学生の頃は、毎晩1時間ほど、偉人伝の朗読をさせられていたといいます。
そんな教育熱心な環境に育まれて、茂氏は鳥取大学教育学部付属の小・中学校を卒業後、慶應義塾高等学校に進学します。
1979年には、慶應義塾大学法学部法律学科を卒業しますが、2年在学中に、全日本学生法律討論会で第一位になるなど、将来を感じさせる経歴も持っています。
石破茂氏の就職と政界への進出
同1979年4月に、石破茂氏は三井銀行(現在の三井住友銀行)に就職することになります。配属は東京都中央区にある本町支店で、日本橋の問屋街を自転車で廻り、中小企業の経営を体当たりで学んだ経験もあるそうです。
1981年には、父・二朗氏が病気で逝去してしまいます。その後、二朗氏の友人だった田中角栄氏からの薦めがあって、石破茂氏は政界入りを志したといいます。
その後、1983年に石破茂氏は三井銀行を退職します。自民党最大派閥だった「木曜クラブ」(通称、「田中派」)事務局で勤務し、本格的に政治を勉強することになります。
1986年、第38回衆議院議員総選挙に鳥取県全県区から出馬し、最下位ながら初当選を果たしました。当時、石破茂氏は28歳、全国で最年少の国会議員でした。以来、11期連続当選し続けています。
石破茂氏は、1991年に一旦自民党を離党しますが、1997年3月に復党します。2000年に第二次森内閣で農林水産政務次官に任命され、翌年の2001年には、第二次森改造内閣で、防衛庁副長官に任命されます。
石破茂氏自身、「国防がライフワーク」と語っているように、外交・安全保障に精通する政策通と言われ、第一次小泉内閣第一次改造内閣では、防衛庁長官として初入閣しました。
そして2012年9月、自民党総裁選挙に出馬を表明しますが、安倍晋三総理大臣に惜しくも敗れてしまいます。2015年の自民党総裁選には立候補をしていません。
石破茂氏は、意外な趣味でも実は有名
そんな石破茂氏ですが、趣味のひとつはなんと「料理」だそうです。しかも得意料理はカレーで、かなり自信があるとのことです。もちろん、好きな食べ物もカレーだそうで、「大学時代は4年間カレーを食べつづけた」と公式プロフィールにも紹介されているほどです。
さらに、石破茂氏は70年代のアイドルやユーミンがお好きで“キャンディーズ”の大ファンだそうです。最近でもインタビュー等で、記者からアイドルについての質問が飛んでいる様子を見かけますね。
プラモデルや鉄道も、マニアと称するほど詳しいという情報もあり、なかなか多趣味なようです。多忙を極める中、わずかな時間を趣味に投じてリフレッシュし、仕事への活力を得ているのかもしれませんね。
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