西郷隆盛の弟・西郷従道は、兄に劣らぬ清廉潔白な人物だったと伝えられています。では、その奥様はどんな方だったのでしょう?現在も、子孫の方はいらっしゃるのでしょうか?
ここでは、西郷従道とその妻、そして子孫について迫ってみたいと思います。
西郷従道の妻
西郷従道の名前の読み「つぐみち」が広く知られていますが、西郷家による正しい読み方は「じゅうどう」だそうです。
兄の西郷隆盛を「大西郷」と呼ぶのに対し「小西郷」と呼ばれたりもするようです。従道にとっても、兄は絶対の存在だったようですね。
西郷従道の夫人は、清子という人物です。文献に多くは登場しないようですが、薩摩藩士で明治政府では大蔵官僚だった得能良助の長女だそうです。
現存している写真を拝見するかぎり、涼しいまなざしの美しい女性だったように見受けられます。
清子夫人は、西郷従道との間に6人の子どもをもうけています。また、この時代に珍しくないことですが、偉人と讃えられる従道にも愛妾の女性がいたようです。
新橋の桃太郎と謳われた有名な芸妓・ナカとの間に、5人の子どもが誕生しています。
大久保利通との関係
西郷従道と清子夫人は、西郷隆盛の親友だった大久保利通にも、引き立てられ大変可愛がられていたようです。
清子が従道のところへお嫁入りした際にも、従道の衣装など全般を整えたり、ほぼ毎日のように家に来て、諸事を教えたりしていたそうです。
西郷従道はたまに無頓着なところもあったようで、兄・隆盛の怒りを買うようなことがあっても、大久保利通が影になり日なたになり、とりなして気にかけていたといいます。
清子夫人は、「まるで実の兄よりも大久保さんの方が親しく、ほとんど骨肉の兄同様に」慕っていたとも語っています。大久保利通は清子のことを「お清どん」「お前」などと呼び、清子も「叔父様」と慕っていたそうです。
兄・西郷隆盛が明治六年の政変で鹿児島へ下野した際も、弟・従道は東京に残って政務を続けていました。西南戦争で、兄・隆盛が自決した際には、その知らせを大久保利通から手紙で知らされ、従道は号泣したといいます。
さらに、自分も辞職すると言って引きこもっていた西郷従道でしたが、大久保利通から「私に一切を任せて、ぜひ出勤してほしい」と勧められます。
その時、大久保利通は「機会をみて、しばらく外国へ出してやる。公使に就職するよう尽力する」と懇切に説いたそうです。
西郷従道も、大久保利通の心根に触れ承知しますが、その後、大久保利通が暗殺されたことにより、従道の外国行きは白紙になってしまいました。
大久保利通が暗殺された当時、西郷従道は毎日泣き暮らしていたそうです。清子夫人も、「大久保さんのご親切を思い出すと、いつも涙の種となる」と語っています。
西郷従道の子孫は女優?
西郷従道には、清子夫人と愛妾・ナカとの間に、合計11人もの子どもがありました。
長男の西郷従理は、7歳の時に、駐日ロシア公使に従ってロシアに渡っています。ロシア皇后と皇弟に可愛がられ、正教会の洗礼を受けますが、その後ワシントンに移った際に腸チフスに感染し、わずか10歳で帰らぬ人となってしまいました。
子孫の中には、曾孫の西郷従節氏や、西郷正道氏など、大企業の取締役や農林水産省に務めた方がいます。西郷正道氏の娘さんで、玄孫にあたる西郷真悠子さんは、女優として活躍され、大河ドラマ「西郷どん」では、従道の娘・桜子役として出演されています。
西郷家の血を受け継ぎながら、一族のドラマに出演するなんて運命的ですね。西郷真悠子さんは、劇団にも所属してあり、本格的に演劇を勉強してある女優さんだそうです。今後の活躍も楽しみですね。
放送まであと約1ヶ月!!
先日大河ドラマ「西郷どん」で
西郷桜子役として撮影行いました!とても感慨深い、、、
衣装素敵✨
黒木華さんの糸役、錦戸亮さんの従道役には心を持っていかれました
是非全編ご覧下さい🌸#西郷どん#せごどん#大河ドラマ#NHK#西郷従道#錦戸亮#黒木華#西郷桜子 pic.twitter.com/jyG34CxnhC
— 西郷真悠子 (@315don315don) 2017年12月8日
西郷従道が清子夫人と暮らした邸宅が今も残っています
東京都めぐにあった西郷従道の邸宅が、愛知県の明治村というところに移設されて今も残っています。
下記の記事にまとめましたので、よろしければご参照ください。
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