小泉進次郎さんには、俳優の兄・小泉孝太郎さんがいることは有名ですが、実は弟もいることが知られています。父・小泉純一郎元内閣総理大臣の三男、宮本佳長さんです。
ここでは、小泉進次郎さんの弟・宮本佳長さんについて、迫ってみたいと思います。
父・小泉純一郎と母の離婚
父親の小泉純一郎さんは、駆け落ち同然で一緒になったエスエス製薬の元会長・泰道照山さんの孫娘・宮本佳代子さんと1982年に離婚しました。
母・宮本佳代子さんが家を出て行くとき、当時2歳くらいだった進次郎さんが母親の後を泣きながら追いかけたという話ですが、親としてもあまりにも辛い決心だったのではないでしょうか。
しかも、その時、実母の宮本佳代子さんのお腹の中には、三男・佳長さんが育まれていました。宮本佳代子さんは、それでも別れる道を選んだのです。
幼すぎた進次郎さんは、その後、父・小泉純一郎さんの姉・信子さんを、実の母と思い込み、慕って育っていくことになります。
宮本佳長さんと、進次郎・孝太郎兄弟が初めて会ったのはいつ?
小泉孝太郎さんは実母が離婚したこと、そして弟がもうひとりいたことを知っていたようです。しかし、進次郎さんがそのことを知ったのは、ずっと後だったといいます。多感な時期に、かなりのショックを受けたことを察することができます。
また、宮本佳長さんも、父親に会いたがっていたそうです。小泉純一郎さんの事務所に電話をかけてきて「会いたい」と伝えたこともあったそうですが、父は断固として会おうとしなかったといいます。
また、母親の宮本佳代子さんも、小泉孝太郎さん、進次郎さんとは会うことが許されなかったそうです。宮本佳長さんの親権だけは譲らなかったということですね。
では、三兄弟が初めて会うことができたのはいつでしょうか?それは、父親の小泉純一郎さんが政界を引退した後だったそうです。
2008年、小泉純一郎さんが政界を引退する際、後継者と決めた次男の進次郎さんに、家のことも全て託す、という話をしたといわれています。
その時に、三男である弟・宮本佳長さんのことにも触れ、「自分はいまさら会えないが、お前たち3人は兄弟なのだから、仲良くするといい」と伝えたそうです。
父の言葉を受けて、進次郎さんは弟の宮本佳長さんに連絡を取りました。長い時間を経て、やっと三兄弟が会えることになったのです。
その後も、3人は一緒に食事をするなど、会えなかった時間を埋めるように少しずつ仲良くなっていったそうです。しかし、父親の小泉純一郎さんと宮本佳長さんが会えるようになったのは、もっとずっと後になってからだったようです。
宮本佳長さんは京都外国語大学を卒業
宮本佳長さんは、アメリカのテネシー州の高校を卒業後、2007年に京都外国語大学の中国語学科を卒業されています。
京都外国語大学は京都市右京区にある私立の外国語を専門とする大学です。外国語学部では中国語学科の他、英米語、フランス語、スペイン語、ドイツ語など学科もあります。
宮本佳長さんはアメリカの高校を卒業されているので、英語、中国語、日本語の3ヶ国語に堪能なのではないかと思われます。
宮本佳長さんは不動産会社勤務
それから後、不動産会社に勤務されているということで、母親の宮本佳代子さんも三井不動産に務めてあったことから、同じ道を志したようですね。
宮本佳代子さんは、たとえ父親が元総理であっても母親は普通のサラリーマンだと言って、宮本佳長さんを普通の子として育てられたそうです。
宮本佳長さんの結婚式で父・小泉進次郎さんと対面
2010年の年末、宮本佳長さんは、とうとう父・小泉純一郎さんとも対面することが叶い、それ以降、親子4人で食事をすることもあったようです。そして2013年11月、宮本佳長さんは、大学の同級生でずっと交際を続けていた女性とご結婚をされます。
結婚式が行われた当日、会場のホテルオークラには、宮本佳長さんと宮本佳代子さん、そして、小泉進次郎さん、孝太郎さん、父親の小泉純一郎さんと、家族5人全員が顔をそろえることが叶いました。
母親の宮本佳代子さんは、幼いころに離れてしまった我が子、小泉進次郎さん、孝太郎さんとようやく会うことができたのですね。
宮本佳代子さんは、のちに雑誌のインタビューで、佳長さんを身籠りながらの離婚は「一番辛く悲しかった時期」と語っています。絶縁状態から30年以上を経ての再会、家族の雪解けは、周囲の関係者も感動して涙するほどだったといいます。
宮本佳長さんに会うことをかたくなに拒んでいた小泉純一郎さんも、本当はずっと会いたかったのを我慢し続けた分、嬉しさも一入だったかもしれませんね。
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