小泉進次郎氏には、生みの母親と育ての母親と、母親が二人いるといいます。もちろん一人は、生みの母親である女性・宮本佳代子さんです。宮本佳代子さんは、なぜ子どもと離れてしまったのでしょうか。ことは、小泉純一郎氏と宮本佳代子さんの離婚から発します。
ここでは、小泉進次郎氏の母親について、迫ってみたいと思います。
小泉純一郎元内閣総理大臣の結婚と離婚
父親の小泉純一郎元内閣総理大臣は、1978年、エスエス製薬の元会長・泰道照山氏の孫娘・宮本佳代子さんと結婚しました。
宮本佳代子さんは青山学院在学中に小泉純一郎氏とお見合いをし、その2日後にプロポーズをされたといいます。当時からとてもおきれいな女性です。
プロポーズを受けて、宮本佳代子さんは21歳のときに小泉純一郎氏と結婚します。実は、そのときすでに、お腹には孝太郎さんがいたそうなのです。
当時、婚姻前の懐妊は、今ほど周囲から寛容に思われていませんでした。佳代子さんの祖父・泰道照山氏は激怒し、二人の結婚には猛反対したといいます。しかし、佳代子さんは不安を抱えつつも反対を押し切り、小泉純一郎氏と結婚しました。
その年に、孝太郎氏が誕生し、4年後に進次郎氏が誕生しますが、その頃には夫婦の仲はもう冷め切っていたといいます。
原因は、週刊誌によるもので確かではありませんが、小泉純一郎氏の身の回りの面倒を二人の姉がみていたそうで、家の実権もその二人の姉が握っていたということにあるようです。
佳代子さんは、小泉家の中で次第に孤独を深め、ついには家を出たといわれています。まだ幼かった進次郎氏は、母を慕って後を追いかけたといいます。
小泉進次郎氏の育ての親は
親権は小泉純一郎氏が持ったため、孝太郎氏と進次郎氏は父親の元で育ちました。二人を育てたのは、純一郎氏の姉・信子さんでした。
その時、孝太郎氏は4歳ほどになっていたため、なんとなく察していたようですが、進次郎氏はあまりに幼かったため、信子さんを実の母親と思うようになってしまいました。
それは、中学2年生の頃まで続きました。それほどまでに、小泉家の中では宮本佳代子さんについてはタブーであったようです。
多感な時期に衝撃的な事実を知った進次郎氏の心中は、大変な混乱をしたかもしれません。しかし、育ての母親である信子さんを、2016年に他界するまで、本当の母親と慕って大切にしたそうです。
離婚後の宮本佳代子さんの人生
宮本佳代子さんは、小泉純一郎氏との離婚後、鎌倉の実家へ戻ったそうです。実は、その時、第三子を身籠っていました。出産後、小泉純一郎氏はその子の親権も得ようとしたそうですが、調停により、その三男・佳長氏だけは、母親の元で育てられます。
長男・孝太郎氏、次男・進次郎氏と三男・佳長氏は離れて暮らすことになるのです。兄弟が三人揃って会うことができるようになったのは、純一郎氏が2008年に政界を引退し、後継者に進次郎氏を指名した後といいます。
つまり、1982年の離婚から25年以上も、小泉純一郎氏と宮本佳代子さん、佳長氏とは会っていないことになります。佳長氏は、それまでも父親の純一郎氏に会いたいと願ったそうですが、姉の信子さんは、会うことを許さなかったと言われています。
宮本佳代子さんは、1979年、出産からわずか半年足らずで三井不動産のグループ会社に入社し、働いていたそうです。難関である宅地建物取引主任者(現・宅地建物取引士)の試験に一発合格し、不動産業界でキャリアを積みました。
現在では、三男・佳長氏も結婚して独立し、宮本佳代子さんは鎌倉のご自宅にひとり暮らしだといいます。まだまだ現役バリバリのキャリアウーマンとして、ご活躍されています。各地で講演も行い、自身の壮絶な経験を語ることで、世の中の多くの女性を元気づけたいと願っているそうです。
波乱万丈の人生を振り返る宮本佳代子さんは、現在も強く輝きながら仕事をこなす、キャリアウーマンの代表でもあるようですね。
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